彬子さまと瑶子さま仲が悪いと噂される理由!暴走する姉にうんざり?

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三笠宮家を守る女王といえば、今や彬子さまと瑶子さまです。

三笠宮家は寬仁親王が2012年に亡くなられており、お妃である信子さまは宮邸を出られている状態。

そのため、彬子さまと瑶子さまが中心となって、三笠宮家のご公務に励まれているそうです。

そんな彬子さまと瑶子さまが不仲といわれているのは、事実なのでしょうか?

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目次

彬子さまと瑶子さまのプロフィール

まずは、彬子さまと瑶子さまのプロフィールから見てみましょう。

天皇家や秋篠宮家と比べると、三笠宮家はメディアに報じられることが少ないかもしれません。

三笠宮家の姉妹である彬子さまと瑶子さまは、それぞれ溢れんばかりの才能と個性を持ち合わせた女王です。

長女・彬子さまと次女・瑶子さまのプロフィールと魅力をご紹介します。

彬子さまのプロフィール

産経新聞
  • 名前:彬子女王
  • 生年月日:1981年12月20日
  • 年齢:43歳
  • お印:雪

彬子さまは、三笠宮寬仁親王と信子妃の長女として誕生しました。

三笠宮寬仁親王と彬子さま

御年43歳になる彬子さまは、現在皇族の中にいる独身女性の中で最年長です。

40歳を超えているようには思えない、肌ツヤの良さやハツラツとしたイメージがありますよね!

プレジデントオンライン

父・寬仁さまが亡くなられ、母・信子さまと絶縁状態にあることから、現状三笠宮家の「当主」は彬子さまだとされています。

彬子さまはこれまで多くのご公務を通じて、三笠宮家に貢献されてきました。

亡くなられた父・寬仁さまのことをたいへん尊敬していらした彬子さまは、寬仁さま亡き後に業務を引き継がれています。

インタビューに答える2005年当時の寬仁さま

そんな彬子さま、実はとても気さくで知的なお人柄なんです。

getty images

彬子さまは、皇族の中でも特にメディアにご出演されることが多くあります。

最近では『徹子の部屋』や『オールナイトニッポン』にゲスト出演され、私生活について語られる場面も。

Yahooニュース

実はさかのぼること50年前、父親の寬仁さまも『オールナイトニッポン』でパーソナリティを務めたことがあるんです!

めざましmedia

寬仁さまの軽快かつ少しだけ毒舌な語り口は、リスナーからも大人気だったそうです。

そんな寬仁さまから受け継がれたテンポの良いトークスキルで、彬子さまは皇族というお立場をより身近に感じさせてくださっています。

産経新聞

日本では、皇族と国民の距離が天と地のように離れており、我々国民から皇族の生活ぶりは見えないもの。

どのようなお召し物を日々着ていらっしゃるのか、何を召し上がっているのか、休日は何をされているのか…

知りたくても知ることができない情報が、たくさんありますよね。

そんな中でも、彬子さまはご自身の私生活や家族に対する思いを、気さくに語ってくださっています。

getty images

最近だと、

まんが喫茶によく行きます。
会員証も「彬子女王」で作りました

と語り、ほかの出演者や視聴者を驚かせていましたよ。

瑶子さまのプロフィール

女性自身
  • 名前:瑶子女王
  • 生年月日:1983年10月25日
  • 年齢:41歳
  • お印:星

瑶子さまは、三笠宮寬仁親王と信子妃の次女として誕生しました。

現在、天皇家の皇女・愛子さまがお務めになっている日本赤十字社の大先輩としても知られています。

日本赤十字社勤務時代には、男性社員を含む複数名で旅行に出かけたことが問題視されるなど、自由奔放な生活ぶりが話題になった瑶子さま。

FNNプライムオンライン

姉・彬子さまと同じく、常に国民の中に入り同じ空気を吸ってくださり、心強くも優しくもある、そんなご公務をされています。

彬子さまとともに尊敬しているとされる父・寬仁さまは

皇族というのは国民の中に自ら入っていって、国民の求めることをするのが仕事だ

とよくおっしゃっていたそうです。

そんな教えを受けた彬子さまと瑶子さまは、常に国民とともに生きる覚悟をしてくださっているのでしょう。

朝日新聞

瑶子さまは、彬子さまがもつ気さくで親しみやすい雰囲気とはまた少し違う、個性と魅力を兼ね備えています。

特に自動車産業やモータースポーツの振興活動に励まれている瑶子さま。

GAZOO

このご公務も、亡き父・寬仁さまから受け継がれたものだそうで、東京モーターショーの名誉総裁も務められています。

気品がありながらも親しみやすい姉・彬子さまとは違い、ご自分らしさを大切に生きるカッコよさが溢れていますよね!

女性自身

対照的でありながらも、素敵な姉妹だということが分かります。

それでは、そんな彬子さまと瑶子さまが不仲だといわれる理由について見てみましょう。

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彬子さまと瑶子さまは仲が悪いと噂される理由

彬子さまと瑶子さまは、ご両親が揃わない中でも姉妹で手を取り合い、ご公務に励まれてきました。

よく、一緒のお車に乗られている姿もキャッチされていましたよね。

NEWSポストセブン

皇族の中には、不仲であるがゆえ別々の車でご移動される方々もいらっしゃいますが、彬子さまと瑶子さまはいつも一緒でした。

そんなお2人ですが、実は姉妹仲が悪いと噂されているのです。

母娘が3人揃っても会話はなし…

かつてはこんなに仲の良かった、信子さまと2人の娘・彬子さまと瑶子さま。

母・信子さまに抱きつかれる彬子さまと瑶子さま

母と娘の間だけでなく、姉妹間にも亀裂が生まれてしまったとされる理由は、何だったのでしょうか。

彬子さまが当主として厳格だった?

彬子さまと瑶子さまの不仲説は、姉である彬子さまが「三笠宮家の次期当主」として、瑶子さまに厳しくされていたからではないかといわれています。

それではここで、三笠宮家の歴史について軽くご説明しましょう。

彬子さまの父・寬仁さまはもともと、三笠宮家を継承するはずの「長男」でした。

Wikipedia

宜仁さまと憲仁さまという弟が2人いらっしゃいましたが、宜仁さまと憲仁さまは三笠宮家を継ぐことはないとされたため、新たに宮家を創設。

宜仁さまは桂宮家、憲仁さまは高円宮家となり、長男である寬仁さまが三笠宮家を継承する予定だったようです。

そのため、寬仁さまは三笠宮家を継がれるまで「寛仁親王家」を名乗っておられました。

しかし、憲仁さまは三笠宮家を継承する前に亡くなられ、妃である信子さまも宮邸を出られてしまいました。

1980年に婚約会見をする寬仁さまと信子さま(当時・麻生信子さん)

長男である寬仁さまが亡くなられたことで、三笠宮家に合流するのは宜仁さまと憲仁さまではないかと思いますよね。

しかし、実は寬仁さまを含む3人の子どもたちは、全員が両親よりも早くに亡くなっているのです。

  • 長男:寬仁さま…2012年に多臓器不全のため66歳でご薨去
  • 次男:桂宮宜仁さま…2014年に急性心不全のため66歳でご薨去
  • 三男:高円宮憲仁さま…2002年に心室細動のため47歳でご薨去

そのため、三笠宮家には継承する子どもが1人もいなくなってしまいました。

そして2024年10月には、三笠宮家の当主だった百合子さまがご薨去。

nippon.com

そして現在、

三笠宮家の次期当主は誰なのか?

という問題に直面しているのです。

そこで、有力とされているのが彬子さまです。

産経新聞

彬子さまは、かねてより故・憲仁さまの業務を積極的に引き継がれ、三笠宮家と寬仁親王家の正統な後継者を自任されています。

そのため、妹・瑶子さまに皇族としての在り方を厳しくご指導されることもあるとか。

週刊女性プライム

特に、彬子さまと瑶子さまは対照的な魅力をお持ちで、それぞれのお気持ちを持って国民と距離を縮めてこられました。

それゆえ、その思いにすれ違いが生じ始めたのかもしれませんね。

瑶子さまも後継者願望があった?

彬子さまが次期当主として、三笠宮家としての在り方を瑶子さまにご指導される一方、瑶子さまにも思われるところがあるようです。

それは、2024年に薨去された三笠宮家の元当主・百合子さまをめぐる問題です。

産経新聞

百合子さまが薨去された際、葬儀で喪主を務められたのは彬子さまでした。

百合子さまの葬儀に向かわれる彬子さまと瑶子さま

彬子さまは、父・寬仁さまの葬儀においても喪主を務められていました。

しかしながら、百合子さまのご生前に身のまわりの世話をしていたのは、彬子さまではなく瑶子さまだったそうなのです。

女性自身

百合子さまと彬子さまの絆は深く、メディアの前にお出ましになる際にも、よくツーショットが映し出されていましたよね。

NHK

しかし、瑶子さまの言い分としては

高齢の祖母の世話をし、三笠宮家を取り仕切ってきたのは自分なのに

という、複雑なお気持ちがあるようです。

瑶子さまは、彬子さまのことを「1ヶ月に1回も帰ってこないような人だ」と評されたこともあったそうですよ。

実際、彬子さまは研究活動のため京都を拠点にご公務をされていましたから、官邸にいらっしゃらなかったのは事実なのでしょう。

百合子さまからの「認定」を巡って確執も?

彬子さまと瑶子さまの不仲説は、三笠宮家の当主をされていた百合子さまから

どちらが認められているのか

という点でも、確執が生まれていたと考えられています。

世間一般には、百合子さまが後継者として指名したのが彬子さまであるように映りました。

長女ですし、百合子さまのご生前によく一緒にいられたイメージがあったからです。

週刊女性プライム

しかし、実は瑶子さまも後継者として認定されたとみなされる場面があったようです。

それは、瑶子さまが百合子さまからとある大切なものを譲り受けていたことです。

大正天皇の后である貞明皇后から百合子さまに受け継がれたブローチを、百合子さまは瑶子さまに譲られているのだそうです。

瑶子さまにとっては、そのブローチこそが「後継者として認められた証」ともいえるお品に思えたのかもしれません。

それにもかかわらず、実質次期当主が彬子さまとなっている現状に、瑶子さまは納得されていない可能性があります。

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まとめ

三笠宮家の姉妹である彬子さまと瑶子さまが、不仲であるという説を調査しました。

三笠宮家といえば、故・寬仁さまと妃・信子さまの夫婦関係破綻に始まり、故・百合子さまと信子さま、そして母と娘の確執も話題に。

芋づる式に家族仲が崩壊していく様子がメディアにも報じられ、心配されている方も多くいるのではないでしょうか。

そして今度は、仲良しだと思われていた彬子さまと瑶子さま姉妹の間に、亀裂があるという噂。

真実は三笠宮家にしか分からないのだと思いますが、それぞれが幸せを感じながら過ごされてほしいと願うばかりです。

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