皇族きっての社交性で、誰に対しても気さくで愛される、高円宮家妃・久子さま。
今日は、久子さまのご実家や若い頃について調査するとともに、憲仁さまも一目惚れされたという魅力についてご紹介します。
まぶしい笑顔で、その場をパッと明るくする久子さまのエネルギー。
その源となっていたのはご両親からの愛情に教養、そして最愛の夫との出会いでした。
久子さまのプロフィール
まずは、久子さまのプロフィールについて見てみましょう。
- 名前:憲仁親王妃 久子
- 旧名:鳥取 久子
- 出身地:東京都
- お印:扇
ショートヘアがお似合いの久子さまは、場を明るくする笑顔と、朗らかでサバサバした性格にも定評があります。
皇族きっての社交性を持ち、ご結婚された2人の娘さん(典子さんと絢子さん)のご結婚相手も、久子さまによるご紹介だったそうです。
世間では、
高円宮家のお嬢さんたちの結婚相手は、毎回立派な人ね!
と、結婚相手を見極める高円宮家のスキルを絶賛する声も。
皇族の結婚といえば、秋篠宮家の長女・眞子さんの結婚が問題視されたばかりですから、高円宮家の成功事例と比較されているのでしょう。
娘さんの幸せなご結婚に関しても貢献している久子さま。
持ち前のコミュニケーション力を活かし、これまで多くの人と交流してきたのでしょう。
国民に近いお立場であろうと努力し、コミュニケーションも欠かさない久子さまが人気の理由が分かりますね!
海外の大学をご卒業後、翻訳会社勤務も
語学力に富んだお妃さまとして知られる久子さま。
久子さまの外国語スピーチを見聞きすることも多くありますよね。
久子さまは、イギリスのケンブリッジ大学ニューナム・カレッジで学ばれたご経験をお持ちです。
ニューナム・カレッジは日本で言う女子大で、教養や科学の分野に優れているのだそう。
久子さまは同カレッジで英文学を専攻され、文学作品の研究だけでなく歴史や哲学などについても学ばれました。
カレッジ卒業後、ご帰国された久子さまは、翻訳会社に勤められます。
憲仁親王とご結婚されるまで、翻訳会社でキャリアを積まれてきました。
皇室きっての社交派!幅広い分野で活躍
久子さまはご結婚後、スポーツや福祉、国際親善など幅広い分野で精力的にご活躍されています。
現時点で皇室を出ておられない高円宮家の長女・承子さまと二人三脚で、高円宮家を守り続けている強き女性です。
国民とのふれあいにおいても気さくなお姿を見せる久子さまは、気品あるエネルギッシュさを見せてくださいます。
久子さまの実家
久子さまは、実業家・鳥取滋治郎さんと鳥取二三子さんの長女としてご誕生されました。
東京都港区白金のお生まれで、鳥取家は香川県三豊市豊中町の旧家。
商業と実業を中心に地域に貢献した名家として知られ、地元では高い影響力を持ったご実家です。
久子さまの祖先は、江戸時代に讃岐国に移住した徳川家康の家臣だそうですよ。
父親はフランス三井物産の元社長
久子さまの父親・鳥取滋治郎さんは香川県出身の実業家。
鳥取家は、香川県で有数の富豪として知られ、農業を営む大地主の家系です。
鳥取滋治郎さんはそんな鳥取家の次男として生まれ、東京帝国大学をご卒業。
ご実家を継がず、フランス三井物産の社長を務めるなどエリート街道を走る人生を選ばれました。
母方の祖父は外交官!グローバルファミリー
久子さまの母親は、鳥取二三子さんです。
二三子さんの父親は元外交官・友田二郎さん。
さらにその母親は、公家の鷹司家ご出身の才女で、大正天皇の皇后である貞明天皇といとこ同士だったのだとか。
二三子さんも久子さま同様に、幼少期から海外経験が豊富な帰国子女でした。
外交官だった父親の赴任先であるフランスで過ごされたため、フランス語が堪能だったとか。
ご結婚された鳥取滋治郎さんがフランス三井物産の社長を務めていた時代には、二三子さんも流暢なフランス語でご活躍されたのだそうですよ。
久子さまは多くの海外滞在をご経験
父親・鳥取滋治郎さんの仕事の関係で、久子さまは幼少期から海外経験をされてきました。
幼少期にまず住まわれたのは、アメリカ・ニューヨーク。
帰国されたあと、聖心女子学院の初等科にご入学されます。
聖心女子学院では、中等科までご卒業されますが、その後再びご家族で渡英されることに。
そのままイギリスの大学をご卒業されている、正真正銘の帰国子女なんです!
幼少期から語学に慣れ親しむ
久子さまは、幼少の頃から英語やフランス語、ドイツ語など多くの語学に慣れ親しみます。
現在も語学に堪能な一面を見せる、聡明なお妃さまとして知られていますよね。
学業に長け優秀な生徒で、基礎科目だけでなく音楽や美術などにも秀でていたそうですよ。
現在も社交的で人脈の広い久子さま。
学生時代から、クラス委員や生徒会長などの活動もされていました。
ご実家はイランの建築物をモデルに建てられた豪邸
久子さまがお生まれになった東京都港区白金のご実家は、父・鳥取滋治郎さんが赴任先のイランで見た建築物がモデルとなっています。
敷地面積は約1000平方メートルで、庭には美しい花々が咲き誇る場所なのだとか。
現在、その邸宅は高円宮家の所有となっており、久子さまも時々訪れることがあるそうです。
憲仁さまとの出会いや結婚生活
久子さまと憲仁さまの出会いは、1984年にまで遡ります。
カナダ大使館のレセプションパーティーにて、1歳年下である憲仁さまと出会った久子さま。
それから半月もたたずして、憲仁さまの父親・三笠宮崇仁親王より好意の有無を確認されたとか!
さらにそれから1ヶ月もしないうちに、憲仁さまから英語で「Will you marry me?」とプロポーズされた久子さまは「Yes!」とお答えになったそうですよ。
憲仁さまとのご結婚を機に、高円宮家が創設されました。
運命!?夫の父親とともに働いていた
久子さまは夫・憲仁親王の父親である三笠宮崇仁親王が総裁を務める「第31回国際アジア・北アフリカ人文科学会議」で、三笠宮さまの通訳を務めます。
三笠宮さまとの出会いが、のちに夫となる憲仁親王との馴れ初めとなるのですね。
久子さまと憲仁親王が初めて会われた際、憲仁親王の思いもあり、三笠宮崇仁親王から結婚のお話がありました。
三笠宮崇仁親王が久子さまのことを気に入っておられ、息子である憲仁親王に会う機会を作られた可能性もありますね。
三笠宮崇仁親王は、憲仁親王と久子さまが会話を交わされたことを確認すると
うちの憲仁をどう思う?
と、久子さまに単刀直入にお伺いしたそうです。
驚いた久子さまは
私はそのようなお家柄の出身ではございません
と一度はお断りするも、すでに久子さまの身辺調査を済ませていた三笠宮崇仁親王は「そんなことはない」と、久子さまの目を見て強く言ったそうです。
憲仁親王の一目惚れでスピード婚!
久子さまは、憲仁親王から一目惚れをされ、ご結婚の話がとんとん拍子で進みました。
惚れられたのは憲仁親王のほうからでしたが、久子さまは憲仁親王と出会い
前世で何をしたら、こんなに幸せな人生が送れるのでしょうか
とおっしゃったほど、お2人は相性抜群の組み合わせだったようです。
憲仁親王は久子さまに対し
英語が上手な人だ
という第一印象を抱いたそうです。
ご自身も海外留学をご経験されていたことから、英語が堪能な久子さまに感銘を受けたのでしょう。
一方、久子さまは憲仁親王に対し
物腰が低くて佇まいも素敵。
「宮さまらしい」というのはこういうことなのね
と、こちらも好印象だったそうですよ。
そして、仕事のためレセプションパーティーを中抜けしなければならない久子さまに対し「電話をしたい」と持ち掛けた憲仁親王。
久子さまは喜んで、ご自身の名刺を渡されたそうです。
初対面で、お互いが好印象を抱かれたという高円宮家ご夫妻。
どちらにも魅力的な人格があり、自然と惹かれ合ったのですね。
早すぎる夫の死を経験
久子さまと憲仁親王がご結婚されたのは、1984年のことでした。
しかし、それからわずか18年後、憲仁親王が重度の不整脈により倒れられ、そのまま帰らぬ人となってしまいました。
憲仁親王が亡くなったのは、なんと47歳という若さ。
当時、久子さまと憲仁親王の子どもである承子さまは16歳の高校生、典子さまは14歳、そして末っ子の絢子さまは12歳でした。
あまりに早すぎる夫の死をご経験された久子さまは、それ以降高円宮家の当主として、頼もしくご活動されてきました。
まとめ
高円宮家を守り続ける、頼もしく強き母・久子さまについてご紹介しました。
久子さまは東京都のご出身ですが、ご実家の「鳥取家」は香川県の由緒ある旧家。
ご両親ともに大変優秀な学歴、経歴を積んでこられた方で、久子さまが受けられた教育や教養も高いものでした。
加えて、久子さまはその明るいお人柄でも人気を博し、現在も皇族ファンの間で愛される存在です。
今後もお元気な姿で高円宮家を支え、そして国民のためにご尽力されることでしょう。
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