三笠宮家の長女・彬子さまは、現在京都に住んでいるようです。
また、京都を拠点に公務や学術活動を行っています。
なぜ皇族である彬子さまが東京ではなく京都に住んでいるのでしょうか?
京都に住んでいるのには理由があるのでしょうか?
彬子さまの自宅の場所、警備体制、
京都に住んでいる理由について調べてみました。

彬子さまプロフィール

- 本名:彬子女王(あきこじょおう)
- 生年月日:1981年12月20日
- 年齢:44歳(2025年)
- 父:寛仁親王
- 母:信子妃
- 学歴:学習院大学卒業後、
英国オックスフォード大学大学院で博士号を取得 - 現在の職務:京都産業大学日本文化研究所特別教授
寬仁さまと信子さまの
皇室における女王の存在は、宮家が皇籍離脱した後の
現皇室典範における女王誕生は初めてのようです。
学習院大学を卒業後、
イギリスの名門オックスフォード大学
に留学し、2010年に博士号を取得しました。
帰国後は学術的な活動に力を入れ、

その他にも、文化を次世代に伝える活動を目的とした
一般社団法人「心游舎(しんゆうしゃ)」
の設立など、学術・教育分野での活躍を積極的に行っています。
彬子さまは京都に住んでる?
京都に住んでる?

彬子さまは、
また、京都に拠点を移すのにあたり
高級マンションを購入されたとの情報もあります。
購入したマンションは、新築の高級分譲タイプとされ、
一説では5000万円ほどの物件だという噂です。
皇族方の住まいとしてふさわしく、
セキュリティやプライバシー面でも配慮されているとみられます。
住んでいる場所は?

彬子さまはの具体的な住所は
もちろん非公開ですが、京都市の
- 中京区
- 東山区
- 北区
ではないかと言われています。
京都市中京区
京都市中京区は、彬子さまが総裁を務める
オフィスに通うのに近くて通いやすい場所なので
中京区にしたのではないかと言われています。
彬子さまが京都に住み始めた時期と
また、中京区のマンションの平均価格は、
約4500万のようです。
2LDKの中古マンションでも
かなりの高額になるんだとか。
彬子さまは、結婚しておらず一人暮らしなので、
2LDKの広さで問題ないと思いますが、
皇族ということもあり、公務の活動も多いので
3LDKの広さがあるのではないかと言われています。
京都市東山区
京都市東山区は、
彬子さまはインタビューで、
京都で好きなのは六波羅の辺りです。
今は静かですが、平家の全盛期には公達さんたちでにぎわったでしょう。
葬送の地だった鳥辺野にも近く、
あの世とこの世の境界線とされた「六道の辻」もある。
時空のゆがみを感じる魅力ある場所です。
と語っていました。
東山区は観光スポットとして有名で、
世界文化遺産の清水寺や八坂神社、京都国立博物館があります。
観光スポットということもあり、
東山区のマンションの平均価格は、
約7300万円のようです。
場所によりますが、高価場所では億にもなるんだとか。
報道された5000万円を遥かに超えているので
可能性としては低い気がします。
また、東区は常に賑わっているので
彬子さまとしてはもう少し静かな場所がいいのかもしれません。
京都市北区
京都市北区は、京都との中でも
京都の住みやすい場所の3位にもなっています。
北区は通勤が便利な場所でも有名です。
また、北区のマンションの平均価格は、
約4000万円のようです。
価格的にも報道された内容と一致します。
交通の利便性も良く、治安が良いということから
北区の可能性もあるのではないかと思います。
京都市のマンションは高額ですが、
京都に住まいを移すということは
何か大きな理由があるのだと思いますね。
警備体制は?

皇族が1人で京都に住んでいるので、
警備体制も気になるところです。
彬子さまの場合は、宮内庁の常駐警備というよりも、
所轄の京都府警との連携による地域警備が中心だと考えられています。
また、マンション自体にもしっかりとした
セキュリティが導入されているとされ、
- 建物の出入りはオートロック
- 監視カメラ
- 警備員
などの対策が取られているのではないかと思われます。
また、日々の生活や移動には
目立たない形で警護が同行している可能性があるので、
一般市民に混じっても自然に溶け込んでいるのでは
ないかと言われています。
皇族なので一般人と同じと言うわけにはいかいですよね。
彬子さまが京都に住んでいるのはなぜ?
彬子さまが京都に住んでいるのはなぜでしょうか。
京都を選ばれた背景には、理由があると思うので調べてみました。
①教育活動

彬子さまは京都産業大学日本文化研究所の特別教授として、
定期的に講義や研究に携わっています。
京都は古都として日本文化の宝庫であり、
日本美術や伝統行事に関する研究には絶好の環境です。
都度、講義や研究の時に東京から京都まで来るのは
大変なので京都に拠点を移したのだと思います。
②心游舎の活動

彬子さまが2012年に設立した心游舎の活動が
京都を中心に行われています。
心游舎は、日本文化に触れる機会が少ない子どもたちに向けて、
寺社や茶道などのワークショップを実施する団体です。
京都に住んでいることで、
より京都に触れ合うことができ
活動に活かせるからではないかと思います。
③京都愛

彬子さまは、京都は散歩に適した街で、
どこを歩いても楽しい
と明かしています。
また彬子さまは、
京都にまつわる著書を執筆できるくらい京都を研究をした
ようなので、単純に京都が好きなんだと思います。
また、東京から少し離れた場所で
静かに自分らしい生活を送りたいという
気持ちもあるかもしれません。
寛仁さまが亡くなられた後に、心に区切りをつける意味でも、
環境を変えたいと思い決断をされた可能性もあります。
また、母親の信子さまと不仲も囁かれているので
母親と離れた京都を選んだのかもしれません。
まとめ
彬子さまは2012年頃から京都に拠点を移したようです。
また、京都に住んでいる場所は京都市の
- 中京区
- 東区
- 北区
ではないかと言われています。
また、マンションの価格は5000万円と言われているようです。
警備体制もしっかりとしているみたいです。
彬子さまが京都に住んだ理由は、
京都での活動が多いからだと思われます。
その他にも京都が好きなようなので
これらのことで京都に住んだようです。
今後も、京都から日本文化の魅力を国内外に
発信していく彬子さまのご活躍に注目が集まりそうです。
最後までお読みいただきありがとうございました。

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