常陸宮正仁親王の妃である、華子さま。
皇室ファンから根強い人気を誇る女性皇族の1人で、戦後に解体された旧華族家のお生まれでもあります。
華々しい生い立ちや半生について、調査してみましょう。

華子さまのプロフィール
華子さまは、上皇陛下の弟で常陸宮家(ひたちのみやけ)の当主・正仁親王のお妃さまです。

- 名前:正仁親王妃 華子
- 旧名:津軽 華子
- 出身地:東京都
- 生年月日:1940年7月19日
- 年齢:84歳
華子さまは現在84歳ながらも、お若い頃と変わらずまぶしい笑顔を放ち、旧華族出身の気品を持ち合わせていらっしゃいます。

日本動物福祉協会や日本馬術連盟、日本・ラテンアメリカ婦人協会など数々の団体にて名誉総裁をされています。
愛子さまが2024年から勤められている日本赤十字社でも、名誉副総裁を務められていますよ。

華子さまと正仁親王のご成婚をきっかけに「常陸宮家」という宮家が創設されました。

一度のお見合いで結婚が即決するほどの才色兼備
華子さまは津軽義孝伯爵の第4子として誕生した、生まれながらのご令嬢。
そのため、婿養子を取るであろうと推測されていたことから、のちに夫となる正仁親王のお妃選びの際には候補から外されていたそうです。
しかし、正仁親王の母親・香淳皇后が

津軽家の華子さんが良いわ
と強い希望を出し、お見合いが叶うことに。
そして、たった一度の顔合わせで皇室中が華子さまに太鼓判を押し、結婚が決まったのです!


嫁姑問題が勃発する可能性も!?
華子さまは、正仁親王の母親である香淳皇后の強いプッシュにより結婚が叶うことになりました。
お姑さんに気に入られて結婚に至るとは、理想的な嫁姑関係ですよね。
しかし、香淳皇后と華子さまは仲違いするのではないかといわれていました。
それは、香淳皇后のご出身である久邇宮家と、華子さまのご実家である津軽家が、敵対関係にあったからです。
通常であれば、自分の実家や縁のある出身元と敵対している相手の娘を、子どもの妻として迎えるのは抵抗があるでしょう。
しかし、香淳皇后の温厚で柔和な性格と華子さまの明るく気さくな性格は、相性バッチリだったそうです!


とても仲良く会話されているのが伝わってきますね。


写真を見ていると、お2人で話されている空間には笑顔が絶えない印象があります。
華子さまの愛らしいお人柄に、香淳皇后もメロメロだったのでしょう。
たった一度顔を合わせただけで、満場一致で結婚が確定するほどの魅力をお持ちの華子さま。
ご出身家にまつわるわだかまりを払拭するパワーも兼ね備えていたのですね!


抜群のファッションセンスが人気
華子さまの人気の秘密は、気さくでチャーミングな性格だけではありません。
抜群のファッションセンスをお持ちで、特に華子さまがお着物をお召しになったお姿に魅了されるファンが多いそうですよ。


華子さまがお召しになるお着物や帯は希少なものが多く、今後もさらに価値が高まっていくであろうとされています。
旧華族のご出身ということで、お若い頃から着物を着用される機会が多かったという華子さま。


年齢に関係なくさらりと着こなし、またさまざまなお色や柄を選ばれているところにも、高いセンスを感じますね。


支え合う夫婦仲も人気の秘密
華子さまは、夫である正仁親王と常に支え合い、助け合うお姿も人気の理由でしょう。


金婚式を迎えた際には、正仁親王が



華子が側にいてくれるので、つい頼ってしまうところがあります
と、華子さまが常にそばにいらっしゃることに幸せを感じている旨を語りました。


なんでも華子さまは寝言が多いそうで、よく正仁親王から「寝言でこう言っていた」と言われることもあるのだとか!
朝からご夫婦で仲睦まじい会話をされているのが想像できますね!


また、華子さまは夫婦げんかに関しても、持論をお持ちなんです。
お若い頃に、正仁親王の言動に怒りを覚えたという華子さま。
不機嫌になられると、正仁親王が



なぜそんなに怒っている?
とおっしゃったため、華子さまはなぜ怒っているのか丁寧に説明されたそうです。
そのとき、



夫婦げんかでこんなに解説しなきゃいけないのは疲れるわ…
と、我に返ったのだとか。
それ以降「解説付きの夫婦げんか」をしないよう、お互いが上機嫌でいられる雰囲気を維持しようと決めたのだそうですよ。
なんだか、夫婦げんかのシーンだけ聞くと私たちの世界と変わらない気もしますね!
しかし、冷静になって「夫婦げんかをしないようにしよう」と努力されてきた華子さまは、やはり人格者なのでしょう。


華子さま幼少期からかわいい
華子さまは、今でもチャーミングで高貴なオーラを放たれています。
伯爵邸でお生まれになり、才色兼備な女性として育った華子さま。
幼少期から可憐でかわらいしい人物だった華子さまの、お写真を見てみましょう。
まずは、旧華族として戦時中にお生まれになった頃。


つぶらな瞳とふっくらしたほっぺが可愛いですね!
現在の華子さまのお顔立ちの面影もあります。


こちらは、正仁親王と婚約された頃の華子さまです。


そばにいらっしゃるのはご両親と、お姉さまだそうですよ。
気品さと優しさが伝わってくるような表情ですね。


凛々しい表情も素敵ですが、無邪気に笑う華子さまもとってもチャーミングですよね。


ご結婚当初の華子さまは、美女揃いの皇室の中でもひときわ華やかなオーラを放っています。


現在の華子さまの面影を感じる、凛とした美しさですね!




お母さまによく似ていらっしゃることも分かりますね。


華子さまの生い立ち
華子さまが誕生されたのは、1940年。
まだ戦争の真っただ中だった頃でした。


戦時中につき幼稚園が休園していたため、華子さまは幼稚園には行かず、学習院大学初等科から学びをスタートされました。
戦時中にお生まれになった華子さまですが、幼かったためほとんど戦争の記憶はないそうです。
2014年、正仁親王との金婚式を迎えられた際のスピーチでは



戦争の怖さを経験したことはない
と語っていらっしゃいました。
華族として学習院で長く学ばれる
華子さまは旧華族のご出身のため、戦後という時代であっても学習院にご入学することが可能でした。
学習院大学初等科から学ばれ、最終学歴は学習院大学女子短期大学です。
学習院大学女子短期大学は2001年に廃止されていますが、華子さまはそこで文科英語専攻を卒業されました。
ご卒業後は英語の絵本を和訳して出版されるなど、短期大学時代の学びを活かして、その語学力を発揮されてきました。
5歳で乗馬クラブに
華子さまの父親・津軽義孝伯爵は、複数の馬の関連団体顧問や理事などに名前を連ねてこられた人物。
そのような縁もあり、華子さまは5歳で乗馬クラブに通われます。
学習院女子高等科では、女子馬術部のキャプテンを務められていたそうですよ!
当時は「馬が私の恋人よ」と発言されたこともあったそう。


現在も動物愛護に対し強い関心を持っておられる華子さま。
幼少期から馬とかかわっていたことで、優しい心が育たれたのでしょう。
24歳で皇族入り
華子さまは正仁親王とのお見合いを経て、24歳のときに正式に皇族となりました。


ご結婚される際のお言葉の中に



宮様は私が守ります
というものがあります。
力強く、また頼もしい華子さまのお言葉に、皇族中が「この方をお妃に迎えて良かった」と思われたことでしょう。


そして、その言葉通り華子さまは正仁親王を献身的に支え続け、夫婦で力を合わせてご公務に励まれてきました。


華子さまは、正仁親王にお弁当を作って差し上げることもあったといい、庶民派プリンセスと呼ばれることもありましたよ。
旧華族のご出身で、庶民とはかけ離れた生活をされてきたはずの華子さま。
正仁親王のために愛情をこめてお弁当を作られる、家庭的で愛にあふれた人物なのですね。
華子さまには子供はいる?
華子さまと正仁親王の間には、お子さまはおられません。
ご成婚と同時に創設された常陸宮家ですが、子女がいらっしゃらないということで、断絶する見込みです。
お子さまが生まれなかった理由については、明らかにされていません。
しかし、一部の情報では正仁親王が幼少期に病弱だったことが影響しているのではないか、といわれているそうですよ。
お子さまはいらっしゃいませんが、夫婦二人三脚で支え合ってこられたお2人の姿は、国民の印象にも強く残っていますよね。
また、お2人には愛犬という大切な家族がいます。


ミニチュアダックスフンドの「福姫」と「ナンシー」で、たびたびご夫妻のお写真にも登場していますよ。


シャッターを切る瞬間にあくびをしてしまうナンシーちゃん、とても可愛いですね!
華子さまは大変な愛犬家としても知られていますから、お子さまがいなくても愛犬と4人家族で、幸せに暮らしているのでしょう。
また華子さまは『89番めのネコ』『せかいでいちばんおりこうないぬ』など、動物にまつわる絵本の翻訳を手掛けておられます。
その印税は全て、日本動物福祉協会に寄付されているそうですよ。
まとめ
常陸宮家妃華子さまについて調査しました。
お若い頃から可憐でチャーミングだった華子さまは、わだかまりがあるとされた夫の母・香淳皇后さえもメロメロにしてしまう魅力をお持ちでした。
華子さまの明るい笑顔は、見ているだけで元気をもらえるようですよね。
これからもお身体に気を付け、元気にご公務に励まれることを祈りましょう。
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